十時孝好 霜月の「USAGI」

私にはいい友人達がいる。
数年前 その中の美術畑の一人に聞いてみた。
「美術史的には 俺は何派?」「お前は ナビ派。」
四十数年前USAGIシリーズを描くキッカケの一人であった彼に喝破された。
「なる程!」彼なりに見続けていてくれたのだ。

作品は見られず無視されたら悲しい。
美術評論家 故・藤枝晃雄氏のおっしゃる通り 作者の自己評価という眼と 観者の他者評価という眼の一致があればうれしいのだが、「うさぎ」は共通言語足るか?
わかりやすいキャラクター性には 作り続けるかぎり常に軽薄さとマンネリ化が付き纏う。
しかしUSAGIでアートを伝えたかった。
具象に仮託するスタイルはそこら中にあるけれど 私は光輝く何かでなく 通俗に語らせたかった。
高みから見下すアートでなく 隣の人と同じ地平に立ちたかった。
置いてけぼりはいやじゃないか。
通俗性を通して「ただ今、ここ!」が立ち現れ 素数のごとき命のようなものが宿るなら見てみたい。
アートにジャンル無しが持論だが 絵カキとしては絵画、彫刻の実体に 他の誰かと共に出会ってみたい。
絵事後素を旨として。

2020年10月10日
十時 孝好



 



十時孝好のUSAGIは 十五夜の月の中で餅つきをしているものでも、不思議の国のアリスの白ウサギでも、ピーターラビットでもない。
時々、夜のクラブのバニーガールのようないたずらっぽいのもいるが、十時のUSAGIは 富士山麓の森の木々から生まれて来る。

広い彼のアトリエには老猫が一匹、周りにたくさんの鳥獣がいて淋しくないと言う。
そう言えば キーンキーンと鹿が鳴いて出迎えてくれた。


幼い頃から画家を目指し、東京芸大 油絵科に入り田口安男・野見山暁治 両教授を師とし、大学院を卒業後、田口教室で助手を3年務め、ニューヨークに渡った。

ヨーロッパではなくアメリカを選んだ十時は アートの持つ圧倒的な力を知り、そのスケールが日本とは大きく異なっている事を強く感じた。

ルネッサンス期の芸術家たちは 画家であり彫刻家でもある。その中で天に捧げるように描き創るミケランジェロが好きと語る。

アメリカのアートの衝撃を受けて帰国、彼は絵から飛び出したような彫刻のウサギを創り出した。ウサギは共通言語になりやすく、USAGIの十時孝好としてアートを伝える事になるのだが、彼もまた 天に捧げたいと創り続けている。

時に 赤いドレスを着たうさぎが飛び出して来る。
彼は赤を太陽の色 血の色 火の色と言って好み 赤いドレスのウサギは生命力に溢れている。

30年ほど前から、十時孝好のUSAGIが気になっていた。この度ついに巡り会えた嬉しさをカタログに入魂 表現してみた。

霜月のUSAGI たちは 冬の訪れを待っているのか?
富士山麓から銀座に下りて来た。

一穂堂 青野惠子