成田順子: -天上界から兎が降りて来た-

概要

時空を越えて、たどり来て、

月の光の中で、うさぎ達がさまざまな言の葉をゆらし、宴がはじまる。
それは、つかのまの夢。

その時、その時に、浮かんだ物語りが、
私の手の中で、形になり、見る人に語り始め、
その人の記憶の一部になって生き続けてくれれば、
これほど嬉しい事はありません。
愛しいと思う心、美しいと思う心を持ち続け、
古布に助けられながら、感じるままに、心のままに、作り続けたいと思います。
古い、いにしえの布が、その人形を着飾るとき、
命のないはずの人形が生き生きとして、今によみがえります。
その時、人形達は、今と昔を紡ぎ、
そして明日へ向かって、一つの物語りを語り始めるのです。

成田順子

 


 

成田順子の人形
リアルとファンタジーの間を往来する

成田順子の人形を初めて見たのは、ニューヨークの一穂堂の古いギャラリーだったと記憶する。すでに10年は経っていると思うが、ギャラリーの奥の棚に置かれていた。
その時の印象を言えば、“立っていた”といった感じである。単に人型だからではなく、何か意志を持って、そこに人形が在る、あるいは、いる、といった感じだった。
強く、凛々しい顔立ちと両手の先をつんと伸ばした、シンメトリーなポーズは美しかった。
そんな強い印象を持ったので、2013年の「第2回金沢・世界工芸トリエンナーレ 工芸におけるリージョナルなもの」(金沢21世紀美術館・石川)、翌年の2014年「'Taiwan-Japan Contemporary Craft & Design in Flux'」(国立台湾工芸研究所・台湾)に出品依頼した。案の定、会場でも美しかった。
成田の作る人形は、一体でも成立するが、群として互いに関連づきながら、一つの世界を形作っていると考えた方がいいところがある。まるで立体曼荼羅のように世界を作るが、仏教の経典のような厳密な法則があるわけではないので、成田なりの空想世界の中で緩やかに互いのキャラクターが関係づく。
今回は、久しぶりの発表となるので、どんな物語で発表するのかなと思ったら、文殊菩薩が兎を伴って降りてくるという話だそうで、タイトルは「天上界からウサギが降りてきた」というものだ。
兎は、文殊菩薩の眷属なのだろうか。これは新しい解釈だ。それに文殊菩薩は、時に童子形で表されるが、こちらは成人女性の姿である。どこか現世的な姿を彷彿とさせるので、天上界から降り立ったというよりも、長い道のりを歩いてやってきたような、実際の時間を抱え込んだような、空気感をまとっている。兎を掌に乗せ、自分の分身のように大事に引き連れている。
この文殊菩薩の掌になる兎は四つ足のリアルものだが、そこから物語が180度反転したように空想的で擬人化された兎たちが何体も登場する。そちらは、童子風の姿形をしている。中には手を前に合わせる愛らしい兎の童子もいて、童話的である。
この辺りの緩急の付け方、リアルとファンタジーの具合が、ここのところの成田の立ち位置を表しているようでもあり、世界観の広がりともいえるものだろう。
それにしても一刻も早く実物を見たいものである。

練馬区立美術館館長
秋元雄史