松原賢展 「藤」を描く

概要


「藤」を描く


音をモチーフにした制作が四十年余りになる。いわゆる「描く」と言う行為から離れて久しい。
昨年、表具師の友人から年代物の二曲一双の金屏風を貰い受けた。以前、一穂堂の青野さんと約束していた「藤花図」が脳裏に浮かんだ。若い頃に根津美術館で観た円山応挙の藤花図屏風に魅せられ「自分もいつか」そんな想いを持った覚えがある。しかしその想いは、時の引き出しの奥深く埋もれていた。その取っ手を青野さんが引いてくれた、引き出し開けの達人である。
林屋晴三先生もそういう方だった。生前「ケンさん、琳派は麻薬だよ。」と仰っていた。
そんなに危険ですか?と聞き返すと「いや、それほど魅力的だと言うことだよ」同感である。
藤の取材に近くにある藤棚に行ってみたがどうも違う。以前、訪れた尚仁沢でたくさんの藤を見た記憶が。早朝に出かける、花の時期は終わっていたが豊富な湧き水が流れる渓流の淵から地を這い天に昇る龍のように一抱えもある蔓が螺旋状にうねりながら伸びている。巻き付かれた木々はその重みに倒れ朽ちて根元の株が苔生して又あらたな生命を育んでいる。生命のエネルギーと循環が原始のまま充ちている。朝靄の中、絡み合う蔓の造形と苔の匂いに包まれ、異次元の空間に迷い込んだかのように恍惚とした時間を貪っていた。

松原 賢


 

この藤花図屏風は応挙ではなく 松原賢が描いたもの。金箔の上に藤の幹と蔓を一気呵成に書のように筆を走らせている。花房は空から降り注ぐ光のように軽やかで風に揺れている。
松原賢は若き日、井上三綱に憧れ 最後の弟子となり 抽象的な「音」をテーマの泥彩画を筆を使って描くことなく制作してきた。月聲、景など 近年は「空 海」シリーズを制作している。
2019年、Ippodo Gallery New Yorkの新店舗オープンの柿落としの空海展は圧巻で、空と海、太陽と月の24枚の襖絵がギャラリー一面に展示され 宇宙のようだった。
3、4年前のこと、林屋晴三氏に頼まれて描いたと言う桜楓屏風の写真を 彼は恥ずかしそうに私に見せた。琳派のタッチで筆を使って描いた絵だった。次の瞬間「私にも藤の絵を描いてちょうだい」と言ってしまったのである。
藤は私の最も好きな花、日本舞踊の藤娘、能衣装の唐織の藤、そして藤棚の花房、言葉が出ないほど美しい が、松原賢の藤は違う。靄の中の幽玄の世界に引き寄せる。遠く遠く幽玄の世界に誘っている。
彼が藤の幹と蔓を見つけた那須の尚仁沢の森へ2月の末 連れて行ってくれた。そこは湧き水が幾重にも溢れ 川の辺りの木に巻き付いた藤が群生している。大樹に巻き付き 主がいなくなって藤の蔓だけが螺旋状になっている。大蛇か龍のような藤の木が 其処彼処に生えている。
松原賢は 円山応挙の藤花図を見ていたのだ。花房ではなく幹と蔓を探し この森で見つけた時、彼は少年のように目を輝かせたに違いない。
かくして、一穂堂で「松原賢 藤を描く」展となった。
天国の林屋晴三氏は あの桜楓図屏風と この藤花図屏風をご覧になって どう思われるでしょう?
私は「えへん!」と言いたい。そして「琳派は麻薬ですね」と……。

一穂堂 青野 惠子

展示風景