松崎健 -民芸の里・益子から窯変へ-

概要

伊賀のビードロ・信楽の緋色・備前の胡麻・丹波赤ドベ焼
焼締にはいろんな炊き方があるが、それらに頼らず、独自の焼き方を追求して、たどり着いたのが、
三千束の薪と50表の炭で八日間焼成する窯変である。
焼き物には一焼き、二土、三細工、穴窯を焚く以上焼きが全てである。
焼は、自分の焼きができるまで、土が自ら表現するまで何回でも焼く。そしてそれが私の意匠となる。
土は、原土を大事にしたい、窯のどこに置くかで表現が変わる。その場所を探すのが楽しい。
細工は、あくまでも土のなりたい形を創る。土の性格を知る事である。
私の五十年の作陶生活から生まれた窯変灰被・耀変志埜である。

松崎健

 


 

松崎健が陶芸家を志して、早や半世紀になる。陶芸家・島岡達三に師事したのは大学卒業後。5年間の弟子時代に、技術のみならず、「陶芸に対する考え方、ものを創るときの姿勢、哲学的なものが大切だということ」など、多くのことを学んだ。

独立して15年目に、大きな転機が訪れる。民芸、益子、それまでに作り上げたオリジナルなもの、その全てを捨てて織部に挑戦したことだ。松崎は、織部に惹かれた理由を「織部釉そのものではなく、織部の思想と様式だった」と語る。それは、表面的な形や意匠ではなく、それらを創り出している思想、本質に惹かれたということだ。この陶芸家としての姿勢を、松崎は師・島岡達三から学んだ。以後、造形と共に窯変が表現の一つとなり、「窯変灰被り」「耀変志埜」「窯変曹達」「金志埜」「鐵志埜」といった独自の窯変を展開する。
窯変の美を生み出すためには、「土」と「焼き」が大事である。大胆なフォルムや轆轤の力強さは土から生まれる。しかし、「細工はあくまで土のなりたい形に従う」という。同じ土を用いても窯のどこに置くか、焼き方一つで景色が変わる。松崎は、3000束の薪と50俵の炭で8日間焼成し、独自の窯変意匠を生み出す。その場所を探すのが楽しいと語る。「土の限界、窯との対話、炎との共演の中から窯変が生まれる。私は常に、見えない何かを求めて窯を焚く」とは、常に本質を問い続ける陶芸家・松崎健の真摯な作陶姿勢である。

森 孝一(美術評論家・日本陶磁協会常任理事)

展示風景